大分県ソーシャルフットボール協会指定強化選手・立野大河のコラム(仮)

大分県ソーシャルフットボール協会指定強化選手《TAIGA.》こと、立野大河選手の連載コラムです


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【連載第14回】社会から見た精神障がいのリアル(2024年9月18日更新)

こんにちは。こんばんは。TAIGA.です。
今回は「社会から見た精神障がいのリアル」についてお話しします。
今回のテーマは、僕自身が実際にある事をしてきた中で、社会の人たちの精神障がいに対する考え方について感じる部分があったので、そのことについて考察を話します。僕の主観で話しますので、この記事に書かれていることが全てではないことはご承知ください。

生きていくにはお金が必要

僕が精神障がいの診断を受けてから、約三年が経ちました。三年前に勤めていた会社を事実上クビになってから、働くことをしてきませんでした。
正確には、働けるような状態ではありませんでした。このことは、以前記事にしたかと思います。

資本主義社会の今、自分が生きていくにはお金が必要になり、そのためには働くことを避けては通れません。もちろん、制度上生活保護や傷病手当金、障害年金等、働かなくてもお金をもらえる制度はありますが、申請主義な上に、実際に支給されるまで時間がかかりますし、基本的には有期的な制度になるので、死ぬまでずっとお金がもらえるわけではありません。
ということは、やはりどこかで働かないといけない場面が出てくることになります。

一人暮らしはもちろんですが、実家暮らしでも、実際生活は厳しいです。僕は障害基礎年金2級を受給していますが、一か月あたりの生活費は、生活保護と変わりないですし、家賃補助まで含めると、実際の金額は生活保護よりも低いです。
よくSNSなどでは、制度のお金をもらいながら生活している人に対して、「贅沢するな」「タバコだの酒だのに金使って、生活費が足りないとかいうのは甘えだ」等といった意見が見られます。僕としては、その人の生活を否定する権利は誰にもないと思います。

また、僕自身、障がいの特性上、躁状態やADHDの影響で、衝動的に何かしたい時が来るので、お金を使ってしまうのが現状です。自分の状態を自分でコントロールすることが難しい精神障がいには、お金を使ってしまうというのは、日常的によくある行為であり、かつ死活問題になっているといえるでしょう。

自分で稼ぐことはプレッシャー

こうした背景がある中で、僕自身も親から「お金ないなら働け」「稼いで来い」とよく言われます。物価高騰かつ給与が上がらない今の時代、僕を養うことすらもギリギリなのでしょう。今年27歳の僕ですが、障害年金をもらいつつ、足りない分は親のすねをかじっている現状を、親は良しとしていないのでしょう。
自分で稼ぐことは当たり前ですが、僕にとっては大きなプレッシャーです。かつて勤めていた仕事もクビになり、続けられなかったことも、負い目に感じており、「働く」ということに、どこか恐怖と諦めを感じていました。

しかし、デイケアに参加し、他の障がい当事者の人と話すと、バイトを掛け持ちしていたり、A型作業所で頑張っている話を多く聞くことになりました。
「この人も頑張れているなら、自分も頑張れるかもしれない」と思い始めた僕は、自分でもできる仕事はないかと探し、バイトの求人に応募し続けました。ただし、現実は全く甘くありませんでした。

バイト九か所全敗

昨年の9月から12月にかけて、九か所のバイトの求人に応募しましたが、受かったのは一か所だけでした。その一か所も長続きせず、一か月で辞めてしまいました。なので、僕自身としては九か所全敗と思っています。 髪色や服装、ネイル等自由なところも落ちました。今の時代、どの業界も人手不足と聞くのにもかかわらず、どこも雇ってくれませんでした。

「一体なぜこんなにも受からないんだ?たかがバイトだぞ?」と思った僕は、自分がなぜ不採用になったのかを推察しました。不採用の場合、連絡がないか、連絡があっても不採用の理由までは教えてくれませんでした。 なので、自分が不採用になる理由が明確ではありませんでした。
僕は九か所のバイトの応募や面接の時の様子を思い返しました。すると共通点が一つあり、それは「履歴書に精神障がいを持っていると書いていた」ことでした。僕の考えとしては、精神障がいが理由で、相手に対して迷惑やトラブルになるのを避けるために、自らオープンにしていました。

「もしかしたら、これが関係しているのではないか?」と思いましたが、結局推察でしかなく、九か所も連続して不採用になったこともあり、僕自身がエネルギーをかなり使ってしまいました。そのため、昨年の12月以降は、バイトを探すことを一旦諦めていました。

面接担当者に言われたこと

今年の7月になり、色んなことを抱えきれなくなった僕自身は、「物理的に死ぬのは不可能だから、精神的か社会的に死んでやろう」と思い、自暴自棄になって、アルバイトの求人に応募しました。このことが、大きなきっかけになりました。

面接当日、面接に行った会社の方たちはとても優しく接してくれました。また、実際に働いているところも見学させてくれました。しかし、面接担当者は、次のことをずっと言っていました。

「僕は医者ではないから、障がいとか病気のことがわからない。うちはシフト制だから、シフトができ上がった後に休みの連絡されても困っちゃうし、ここは従業員みんなで協力しながらお互い様でやってる。体調が悪くて当欠されたりするのが一番の懸念点なんだよね。」

きっと、面接を担当してくれた人は物凄く優しかったのでしょう。障がいや病気のことがわからないなりに、僕に気を遣いつつ、今働いているバイトの従業員たちも守らないといけない立場なので、こうした言い方になったのでしょう。

僕は、「絶対に当欠をしない、シフトが決まってから休まない、ということは障がいがある以上言えません。そのことも踏まえて採用か不採用かご判断ください。不採用でも構いませんので。」としか言えませんでした。
この面接を通して、なぜ自分がバイトの面接すら受からないのか、はっきりしました。

名前や言葉だけが一人歩き

精神障がいや精神疾患は、一昔前と比べると、社会になじみ始めていると思います。しかし、それは、病名や精神障がいという言葉だけなのではないでしょうか。
「実際にどんなことが当時者は辛く困っていて、社会としてどのように配慮すればいいのか」ということは、おざなりになっているように思えます。僕としては、何事も「理解と配慮は別物」だと思いますし、実際の困難さは、当事者になってみないとわからないと思います。

そして、名前や言葉だけが一人歩きしているということは、簡単に言えば差別や、関わりを遠ざける原因にもなります。
「うつ病?聞いたことあるけど、そんなの甘えでしょ」「発達障害?よくわかんないし普通じゃないってなんか怖いから、関わるのやめよう」など、相手がどのように捉えるかで、精神障がいの認識が人によって変わってしまい、相手の空想や想像で判断されてしまうことにもなります。

今回の僕のバイトの件は、まさにこれです。「仕事を当欠されることが困る」ということに、障がいの有無は関係ありません。また、誰しもが風邪をひいたり、やむを得ない事情によって仕事を休む可能性というのは平等に持っているはずです。

しかし、今回のように「精神障がいっていうものがどういうものなのかわからなくて、、、」「障害や病状によって休まれると、、、」というように、「精神障がいがある=安定して出勤ができない可能性が高い」という、勝手な偏見を持たれているのが、今の社会における精神障がいのリアルなのではないでしょうか。

精神障がい当事者の僕から言わせれば、「そんなことは実際に働いてみないとわからない」です。実際に働いてみて、周りの人たちに恵まれ、職場の環境が楽しいと思えるなら続くと思いますし、これが逆ならストレスがかかって続かないと思います。ただ、これは精神障がいがあるから起きることではなく、誰しもが同じなのではないでしょうか。

「なんだかよくわからないもの」

結局、何を伝えたかったかというと、「社会において精神障がいとは、生産性を安定して生み出せない、なんかよくわからない病気と捉えられていることが多い」ということを、バイトの面接において実感したということです。

僕は、精神障がい当事者として、精神疾患や精神障がいの自己受容のために、YouTubeやネットで勉強しましたし、前職が福祉関係だったこともあり、精神障がいや精神疾患にはある程度詳しいことが普通の世界で生きてきました。

ただ、世間一般的な普通の生活をしている人達からすると、精神障がいや精神疾患といったものは、なんだかよくわからないものでしかないみたいです。これでは、いつまで経っても、社会からの理解や配慮を受けることができず、障がい当事者が生きにくい状態が解消されるわけがないと思います。

大事なのは何を学び何に気づけるか

このことを踏まえて、自分がどのように生きるのかは、これを読んでいるあなた自身の自由です。
僕は、今回受けたバイトは採用であったとしても辞退しますし、これ以降無理して働くためにバイトに応募したり、障害者雇用を目指したりはしないでしょう。僕自身が、働きたくても雇ってくれない理由が明確になった以上、頑張ろうとは思えません。

そもそも、障がいとは、自分の意思で障がいそのものを改善させたり解消したりすることができません。その状態の中で、障がいによって起きる事象が全て自己責任というのは、あまりに酷ではないでしょうか。

もちろん、自分自身が頑張りたいと思ったり、やるしかない状況に身を置かれているのであれば、仕事に限らずなんでも頑張ればいいと思います。 大事なのは、始めたことを頑張り続けるのではなく、その頑張りというチャレンジによって、何を学び何に気づけるか、だと思います。


さて、今回は「社会から見た精神障がいのリアル」というテーマでお話ししました。障がいは自分が望んでなるものではありません。その人自身が、その人に合っている生き方ができることを願っています。
次回は、「フットサルの時に使う道具のレビュー」というテーマでお話しします。レビューするのは、TABIOと今使っているフットサルシューズです。ぜひ参考にしてください。

それでは、また✋

TAIGA.

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