大分県ソーシャルフットボール協会指定強化選手・立野大河のコラム(仮)

大分県ソーシャルフットボール協会指定強化選手《TAIGA.》こと、立野大河選手の連載コラムです


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【連載第2回】ソーシャルフットボールとの出会いと今(2024年6月27日更新)

こんにちは。こんばんは。TAIGA.です。
前回、自分がどうやって生きてきたか、要するに人生の話をさせていただきました。TAIGA.という人物が、どうやって今に至るのかは掴んでいただけたかなと思います。
さて、今回は「ソーシャルフットボールとの出会いと今」について、発信しようと思います。

出会いは今から約2年半前

自分がソーシャルフットボールと出会うきっかけになったのは、今から約2年半前でした。当時は、福岡に移住したばかりで、友達もおらず、外に出る機会といえば、診察に行くくらいでした。
このままではいけないと思い、デイケアに通うことにしました。ただ、診察に行っている病院のデイケアは、高齢者ばかりで、自分には合わない感じがしました。どこかいいところはないか、、、。そう思っていた時、母が見つけてくれたのが、今通っているデイケアでした。
「ソーシャルフットボールのチームがある」ことから見つけてくれました。これまでサッカーを13年間やってきた自分としては、「自分の経験を活かせることができるかもしれない」と思い、早速、日本ソーシャルフットボール協会を通して連絡を取り、今のデイケアに参加することになりました。

ところで、「ソーシャルフットボールって何?」と思う人もいるかもしれないので、ソーシャルフットボールについてお話しします。
公益財団法人日本サッカー協会によると、「ソーシャルフットボールの名称は、イタリアで行われているcalciosocialeに由来します。年齢・性別・人種・貧困・家庭環境・障がいなど、あらゆる違いを超えて社会連帯を目指したフットボール文化です。」とのことです。また、これまでの経緯としては「2007年、精神障がい者のフットサル大会が大阪で開催されたことが、日本でのソーシャルフットボールの取り組みの始まりです。この取り組みが全国に普及し、医療機関や施設に拠点を置くチームだけでなく、地域単位で構成されたチームなども作られました。」とあります。2019年3月時点では、競技人口は2457名となっています。
また。日本障がい者サッカー連盟(JIFF)によると、ソーシャルフットボールとは「精神障がいを抱えた人のフットサル」とあり、「フットサルという競技スポーツを通して、自分に対する自信や価値を見出すことを目指している」とあります。

ソーシャルフットボールとは、どんなものなのか、なんとなく想像はできたのではないでしょうか。ここからは、ソーシャルフットボールに関わっている僕自身の視点でお話ししていきたいと思います。

次第に仲間が増えていった

まず、ソーシャルフットボールに出会った当初は、「自分がこれまでやってきたサッカーの経験を活かせる場所」としか見ていませんでした。もちろん、ある程度はうまくできていたので、ソーシャルフットボールの活動が楽しく、生きている中での楽しみになっていきました。だんだんとソーシャルフットボールにのめり込んでいった結果、「自分ならもっと高いレベルでプレーできるのではないか」と、自信がつくようになりました。
そして、2023年の3月に行われた、日本代表強化指定選手セレクションを受けました。しかし、結果は落選。このとき、はじめて今の現実を突きつけられました。「今のままでは受からない」と思った自分は、デイケアに通う日数を増やしたり、自チームが参加できない大会に単独で参加したりし、日常生活の中で、できることを増やして、生きるためのリズムを作ることにしました。
また、2023年から自チームのキャプテンも任され、フットサルの技術や戦術、考え方も独学で勉強し、自チームのチームメイトたちに教えたり、落とし込んだりしていきました。自分自身が動いていくことで、次第にソーシャルフットボールの仲間が増えていき、だんだんと色んな人と話すことができるようになっていきました。

こうした自分の活動が、今度は外の人間から評価され始め、ソーシャルフットボールを通してつながりができた、大分県ソーシャルフットボール協会に推薦をいただき、2024年から、ソーシャルフットボール大分県指定強化選手にもなることができました。 また、2024年4月に行われた、日本代表指定強化選手セレクションにも、前年に引き続き参加しました。しかし、結果は落選でした。

ソーシャルフットボールには無限の可能性がある

こうした僕自身の行動を客観視すると、「ソーシャルフットボールには無限の可能性がある」と感じます。
ソーシャルフットボールに出会う前の僕は、仲間もおらず、信頼できる人もおらず、自分が安心できる居場所もなく、自分に対する自信や生きている価値が見いだせずにいました。それが、たったの約2年半で、全て解決されたのです。
もちろん、僕自身が諦めず、積極的に行動した結果として、今の状態があると捉えることもできます。ただ、僕がここまで変われたきっかけは、「監督からの期待」であり、それをもたらしたのが「ソーシャルフットボールに関わったこと」だと、今でも思っています。このことは、サッカーの経験があるかないか、運動神経がいいか悪いか、自分が動けるか動けないか、そういったものは全く関係なく、全ての人たちにチャンスはあると思います。

ソーシャルフットボールは、チームスポーツであり、競技性やスポーツ自体の強度は高いです。精神障がいを持つ人にとっては、体力面や自分自身の症状の状態から、始めてみるハードルは高いと思います。
ただ、僕自身は、「ソーシャルフットボールをやる目的は、その人自身が決めればいい」と思っています。試合の勝ち負けに限らず、スポーツ活動を通して日頃のストレスを発散したり、強度の高いスポーツをすることで体力をつけたり、自分自身の健康を維持するためであったり、仲間や居場所をつくるためであったり等、自分自身の生活の質をより良くするための手段の一つであっていいと思います。

今、僕は自チームにて、キャプテンとして普段の活動のメニューを考え、それを教えたり、監督と密に話し合いながら、戦術を考えたりしています。チームメイトの中には、今までサッカーやフットサルを経験していない人もたくさんいますし、大会や試合には参加せず、運動療法の一つとして参加されている人もたくさんいます。もちろん、競技スポーツとして勝ちたい、活躍したいと思っている人もいます。
そういった中で、参加している一人でも多くの人が、「ソーシャルフットボールをすることが楽しい」、「自分ができるようになったことがあって嬉しい」、「ソーシャルフットボールを通して学んだことが、日常生活を送るためのヒントになっていて、生活をするのが少し楽になった」と思ってもらえるように、メニューを考えたり、活動の中でやることを細かく伝えたりしていますし、僕自身もチームメイトからたくさんのことを学んだり教えてもらったりしています。それが、今の僕の生きがいになっていますし、監督が何もない自分に期待をしてくれた恩返しだと思っています。

今度は僕自身が誰かを少しでも救えたら

また、僕と他チームの人と一緒に、九州地区のソーシャルフットボールのリーグ戦や、選手だけの会を立ち上げようとしています。自チームの輪を越えて、さらに多くのソーシャルフットボールの関わる人たちが活躍できる場、生きがいや生活に直接いい影響を与える場を、今まさに模索しながら、立ち上げようとしている最中です。
僕自身がソーシャルフットボールという存在に触れ救われたように、今度は僕自身が、ソーシャルフットボールを通して、誰かを少しでも救えたらいいなと思っています。


今回は、「ソーシャルフットボールとの出会いと今」というテーマでお話しさせていただきました。次回は「挫折と苦悩、諦めと立ち直り」というテーマでお話しさせていただきます。

それでは、また✋

TAIGA.



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