大分県ソーシャルフットボール協会指定強化選手・立野大河のコラム(仮)

大分県ソーシャルフットボール協会指定強化選手《TAIGA.》こと、立野大河選手の連載コラムです


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【連載第17回】障がい受容と障がい教育(2024年10月9日更新)

こんにちは。こんばんは。TAIGA.です。
今回は「障がい受容と障がい教育」というテーマでお話しします。今回のテーマは、障がい当事者が、自分のことを知っていくための受容と教育になります。

周りの人がサポートできるようにしよう!

障がい受容や障がい教育は、簡単に言ってしまえば「障がいとはどういうものかを知り、障がいを持つ人に対する理解を深め、自分たちができる配慮を考える」ということかと思います。要するに、「周りの人がサポートできるようにしよう!」というのが大きなテーマになっていると思っています。

しかし、障がいと一言で言っても、その困りごとは当事者によって異なります。ということは、「一般的な障がいという概念が当てはまる場合と当てはまらない場合がある」ということになります。
ここで大事になるのは、「当事者自身が、何に困っていて、どんなことを配慮してほしいか、他人に伝えること」になります。そのためには、当事者自身が、障がいについて学び、自分の状態を受け入れていく必要があると考えます。

ある意味「荒療治」

そうはいっても、障がいを持つ当事者自身が、自分の障がいを学び受け入れていくというのは、ある意味「荒療治」ではないかとも思います。
なぜなら、障がいという難しさ故の失敗やネガティブなことと向き合っていかないといけないからです。世の中、知らなくていいことや気づかなくていいこと、考えなくていいことなんてたくさんあります。
ただ、この部分に向き合わないと、当事者自身が生きやすい環境を作っていくことが難しいと思っています。

僕も、実際自分の「障がい受容と障がい教育」というところは、かなり苦戦しています。三年前に精神疾患の診断を受けるまでは、いわば「健常者」として社会の中で生きてこれたので、どうしてもその時のできていたことやうまくやれていたことを、今でも追い求めたりしてしまいます。
でも、実際の今は「精神障がい者」であり、精神疾患の病状があることで、社会生活に支障が出ていることも事実です。できる範囲とできない範囲を一つずつクリアにすることで、背負い込みすぎずに、うまく他人に助けを求めながら生活できるようにしていくのが、今の課題です。

僕が実際にやっていること

では、実際に、精神障がいを持つ当事者が、どのようにして「障がい受容と障がい教育」をしていくのかについて、僕が実際にやっていることをお話しします。

まず、先に「障がい教育」についてお話しします。
結論から言うと「YouTube」を活用しています。特におすすめなのが、「精神科医がこころの病気を解説するch」です。早稲田メンタルクリニックの益田さんが、精神科医という立場から、臨床で培ってきたことをベースに、こころの病気について解説している動画のチャンネルです。
僕はここで「精神疾患とは何か」というベースの部分を勉強しています。ベースが理解できれば、病状の何が原因で障がいが起きているのかを客観視することができます。

また、書籍のようにお金がかからず、文字を読む必要もないので、音声を聞きながらでも情報を知ることができるのは、精神障がい当事者の僕にとってメリットになりました。病状がひどいときは、文字を読むことができなかったり、読んでも何が書いてあるかの処理ができなかったりするので、動画という媒体は非常に助かっています。
このチャンネルは、精神疾患の解説だけでなく、社会問題に対する見解や考察も行っています。つまり、精神疾患からくる障がいについてのテーマも扱っているので、過去・今・未来の自分と照らし合わせながら、学ぶことができます。

「少しの無理」と「いい意味での諦め」

次に、「障がい受容」に関してですが、僕の場合は「少しの無理」と「いい意味での諦め」をしています。

具体的な話をすると、これを書いている少し前に、ライン工のバイトの求人に応募しました。面接してくれた担当者の方がとても優しい方でしたが、そこで言われたのは「精神障がいについて、現実的な病状が全く分からない。医者ではないから、今の現状で働いていいのかも判断できない。その中で、病状による当欠やシフトが決まってから休みを申請されると、他の人を補充できないから、そこが懸念点です。」ということでした。
僕は、「不安定な状況は、自分の意思でどうにかできることではありません。仕事内容はできると思いますが、その懸念点に関しては絶対に休みませんとは言えません。それも踏まえて採用か不採用か考えていただいて構いません。」と返しました。結果は不採用でした。
このとき、これまで数多くのバイトに応募したのにもかかわらず、全て不採用という結果になった理由が初めて明確になりました。

僕は、このバイトの面接を通して「社会の中で普通に生きていくということは、精神障がいという不安定な要素を持っている時点で難しい。精神障がいや精神疾患の名前や単語を知ることは多くなったかもしれないが、その実情がわからず、どのようにして配慮したり対応すればいいのか、具体的な考えは社会にはない。」と感じ、働くことを諦めました。

「できないことを明確にすることで、選択肢を減らしていく」

このように、バイトをしてみるという「少しの無理」をした結果、「社会からの配慮はない」という諦めにつながりました。 では、これがどう受容なのでしょうか。

それは、「できないことを明確にすることで、選択肢を減らしていく」ということです。僕の場合だと、精神障がいを持っているけど、自分で稼がないといけない状況の中で、「バイトや障がいクローズでの就労は厳しい、ということは障害者雇用やA型作業所を狙っていけばいい」という考えに至ったのです。

そして、さらに「今の自分には障害者雇用は体力的にもメンタル的にもハードルが高い。今の状況で少し無理するとしたら、A型作業所になる」ということも感じました。少しの無理と、いい意味での諦めをしたことによって、今の自分の状況と、障がいを持ちながら生きるということに関して、次のステップが見えたのです。

「次の少し無理する部分を見つけていく」

このように、「自分の障がいを受容していく」というのは、言い換えれば「できないことを明らかにしたうえで、次の少し無理する部分を見つけていく」ということであり、それを何回も繰り返すことなのです。

今回は就労の具体例を出しましたが、日常生活における事象、家事や食事、入浴等、生活の中での課題に対してアプローチしてもいいですし、趣味や余暇活動に対してアプローチをしてもいいと思います。

とにかく、大事なのは「今の自分を知り、少し無理のできる範囲を定めること」です。これを繰り返していくことで、自分には障がいがあるために何ができなくて、どんなサポートが必要か明確に相手に伝えることができるようになります。
また、少し無理をしたことがうまくいったり、続いていけば、それは自信につながります。



今回は「障がい受容と障がい教育」というテーマでお話ししました。
今回の話は、あくまで僕がやっていることになります。もちろん他のやり方があっていいと思いますし、自分に合ったやり方を模索してもいいと思います。
ただ、障がいがあるがゆえに、全てを諦めてしまうと、何も進まず、自分の状態も環境もどんどん耐えられないことになってしまいます。様々な人たちが求めるレベルには届かなくても、自分ができる範囲を少し超えたところにチャレンジをしていくだけでいいんです。あくまでも基準は自分の中にあることを忘れないでください。
次回は、「僕が今後やっていきたいこと」というテーマでお話しします。

それでは、また✋

TAIGA.

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